救済

 とある人から「絹傘さんが文章を書く目的とは何ですか?」と聞かれたとする。

 その時、私は「文章を書く行為=救済です」と答えるだろう。

 文章を書き始めて、何年目になるのだろうか? 覚えていない。ただし、本腰入れて、文章を書くようになったのは、昨年頃からだ。

 今も拙文だが、あの当時の文章は今よりもひどかった。読むに堪えない文章を書き、それを堂々と公開していたのだから、話にならない。

 品詞と文法のことを全く理解せず、書きたい! という気持ちだけで文章を書いていたのだ。

 愚かだった。これは、文章を愛しているのに、愛していないということを意味する。

 中学生だった時、文法の授業を受けた。しかし、勉強嫌いの私は、教師の話を聞かず、授業中、眠ってばかりいた。ただただ情けない。

 ところで、「は」と「が」は主語、ただし、「は」という係助詞は命題であること。

 今、私は言語学に励んでいる。言語学を通して言語が持つ恐ろしさを学んだし、学んでいる。言語を知ることは、人を知ることだと。

 話を本筋に戻す。書きたい! という気持ちだけで書く。これでは駄目だと思い、言語について学ぶことを決心した。私には文才がない。だが、文才がないので、言語を学ぶ重要性に気づくことができた。

 品詞の役割と文法規則を理解した上で文章を書くと、違和感のない文章に仕上がる。

 私にとって文章を書く行為とは、救済行為。

 文章を書くためには、言語とは何かを知らなければならない。これが何たるかを知らなければ、文章を書くことはできない。これが何たるかを知った時、文章を初めて書くことができる。

 私は書かなければならない。

 なぜならば、書かなければ、死んでしまうからだ。自分の思いを言語化することは、毒素を排出する行為に似ている。デトックスだ。

 物語や、ブログなど。

 読まれるとか、読まれないとか、そういう問題はいったん蚊帳の外に。とにかく書かなければならない。書かなければ、死んでしまうからだ。

 そう、書くために。書くために、言語学を引き続き頑張る。

大木戸ビルに

 ああ、大木戸ビルよ

 大木戸ビルに伺った際の印象や、出来事などを記すことにする。

 4月8日は岡田有希子の命日だ。

 本日、四谷にたくさんの方々が集い、12時15分に彼女に黙とうを捧げる。その後、現場に供えられた花々は名古屋の成満寺に移送されるのが一連の流れだ。

 命日――避けて通れないのが四谷にある大木戸ビル。

 今回、そこに足を運んだ際の出来事について書く。

 数年前のある日、東京観光に私は出かけた。

 岡田有希子南条あや二階堂奥歯のゆかりの地を巡るという名目のもとに東京観光を決行したのだ。ところで、今回の記事の趣旨は大木戸ビルについてである。なので、彼女たちのゆかりの地を巡った内容は割愛する。

 さて、四谷に伺ったあの日のこと。空には雲一つなく、視界一面に美しい青色が広がっていたことを記憶している。とにかく、とにかく美しかった。

 Kという人物と共に歩道を歩きながら、ここにはこの店がある、そこにはこんな店がある、など。大木戸ビルに到着するまでの風景を観察することがとにかく面白かった。

 その後、大木戸ビルの付近にやってきた。

 このビルの周囲を囲うように立ち並ぶビル群。さすがは東京だと感心した覚えがある。けれども、よくよく見ると、似通ったビルが立ち並ぶこの光景は、大阪でいう淀屋橋近辺と大差がないと感じた。

 さて、ここにやってきたはいいものの、することが特にない。

 4月をとうに過ぎた季節である。周囲を見渡すと、歩行者、歩行者、歩行者。岡田有希子のファンは誰一人としておらず、言わずもがな歩行者しかいない。

 Kに「ここが岡田有希子の最後の地やねん」と話し、「花をとりあえず供えるか」と彼に提案して、生花店に私たちは向かった。

 Kは鈍感な男である。大木戸ビルの付近にいても、にこにこ笑顔の文字通り鈍感体質。一方の私は、ここに到着した瞬間、ここには何かがある、ここには何かがいる、なので、ここに留まるべきではないと感じた敏感体質なのだ。この落差よ。

 違和感を覚えながらも生花店に行って、ここの女性に4月8日の話を伺った。曰く、ファンの方々が花を求めて、店に殺到するとのこと。

「かわいらしい女性でしたねえ、彼女は」

「そうですよね。清純で」

 などといった会話を交え、彼女のイメージにふさわしいブーケを作っていただいた。その後、代金を支払い、再び大木戸ビルに。

 いや!! ここ!! なんかおるて!! と、直感が告げるのである。

 花をひとまず供え、合掌。私の直感が「ここから離れろよ」と告げているにも関わらず、「あのさ、ビルの中、入らん?」とKに提案する始末。あかんわ、こいつ。

 Kはこれを承諾し、大木戸ビルの内部に私たちは足を踏み入れた。大木戸ビルという場所は、日中なのに、薄暗い。このビルを一言で例えるならば、陰気。そう、きのこが生えそうなほどじめじめとした陰気なビル。

 やべえな、ここ。

 顰め面になりながら、Kと階段を一段一段昇る。

 いやあ、運動不足の体にはありがたい階段だよ。

 それはさておき、このビルを支配する何かが私の肩にのしかかる。Kは相も変わらずのほほん顔。私は、それを横目で見ながら、彼と共に階段を昇り続けた。

 ここを出なければならない。

 そのように感じた理由は警備員ではない。ここに渦巻く負のエネルギーが私のエネルギーを吸い取り、その果てに私の心が乱れてしまうと感じたからだ。

 気づいた時、屋上の扉の前に私たちは立っていた。

「えっ?」と、私は思わず発した。私の目の前にあるのは、年季の入ったドア。その片隅にフェルトペンでS・Kさんとのイニシャルが書かれてある。

 そこに記されたメッセージ――。

『S・Kさん。お願いだから、これ以上、もう飛び降りないで』

S・Kさんというのは、岡田有希子の本名、佐藤佳代のことを指す。

「あー……この人、屋上に入れんかったんやなあ……」と漏らし、私は、人差し指でその文章をなぞりながら、「まあ、どうせ開かんわ」と諦め気味に呟いてから試しにドアノブを握り、それを捻った。

 すると、あっけなく開いたのである。

「は!?」

 あまりにあっけなく開いたドア。

 大木戸ビルの管理体制を疑わずにはいられない。

 S・Kさん――。もしかすると、S・Kさんが私とKを招いているのでは?

 いやあな予感がした。いやあな予感しかしない。これがなぜ開いているのだろうか?

 ここから先のことは書かない。ただ、これだけは書かなければならない。

 屋上近辺に渦巻く何か――。残留思念? 感想として屋上付近にやってきて感じたのは、触れてはならない何かがここにはあるということ、触れてはならない何かがここにはいるということだった。

 ところで、大木戸ビルできのこを育てましょうという指令が下ったとする。ここで私がきのこを育てることになったとすれば、約2日間できのこを育て上げる自信がある。大木戸ビルという場所は、それほど陰気な場所なのだ。

 Kのような鈍感体質ならば、問題がない。ただ、そうでない場合は要注意だ。

 最悪の場合、体調を崩す恐れがある。

 本日は4月8日、佳桜忌である。

 それに際してこの記事を書いた。

 大木戸ビルという場所は、岡田のファンである以上、避けては通れない。

 本日、ここにたくさんの方々が集い、岡田に黙とうを捧げるわけだ。それに思いをはせつつ、心穏やかに今日という日を過ごすことにする。