救済

 とある人から「絹傘さんが文章を書く目的とは何ですか?」と聞かれたとする。

 その時、私は「文章を書く行為=救済です」と答えるだろう。

 文章を書き始めて、何年目になるのだろうか? 覚えていない。ただし、本腰入れて、文章を書くようになったのは、昨年頃からだ。

 今も拙文だが、あの当時の文章は今よりもひどかった。読むに堪えない文章を書き、それを堂々と公開していたのだから、話にならない。

 品詞と文法のことを全く理解せず、書きたい! という気持ちだけで文章を書いていたのだ。

 愚かだった。これは、文章を愛しているのに、愛していないということを意味する。

 中学生だった時、文法の授業を受けた。しかし、勉強嫌いの私は、教師の話を聞かず、授業中、眠ってばかりいた。ただただ情けない。

 ところで、「は」と「が」は主語、ただし、「は」という係助詞は命題であること。

 今、私は言語学に励んでいる。言語学を通して言語が持つ恐ろしさを学んだし、学んでいる。言語を知ることは、人を知ることだと。

 話を本筋に戻す。書きたい! という気持ちだけで書く。これでは駄目だと思い、言語について学ぶことを決心した。私には文才がない。だが、文才がないので、言語を学ぶ重要性に気づくことができた。

 品詞の役割と文法規則を理解した上で文章を書くと、違和感のない文章に仕上がる。

 私にとって文章を書く行為とは、救済行為。

 文章を書くためには、言語とは何かを知らなければならない。これが何たるかを知らなければ、文章を書くことはできない。これが何たるかを知った時、文章を初めて書くことができる。

 私は書かなければならない。

 なぜならば、書かなければ、死んでしまうからだ。自分の思いを言語化することは、毒素を排出する行為に似ている。デトックスだ。

 物語や、ブログなど。

 読まれるとか、読まれないとか、そういう問題はいったん蚊帳の外に。とにかく書かなければならない。書かなければ、死んでしまうからだ。

 そう、書くために。書くために、言語学を引き続き頑張る。